Yu Hara | Statement

世界のなかに「私」がいると同時に、「私」のなかに世界がいる

俯瞰してみると世界は様々な意味を持つレイヤーが重なったり離れたりを繰り返す状態にある。海面で暖められた水蒸気が上昇し雲になったり、様々なものが重なりあったりして地層がつくられる。近づいてみると「私」もまた、過去に見たり聞いたりしたことと、現在「私」を取りまく風景が重なりあい、何かを思い、そして忘れる。私たちはたえず何かを見て何かを思い、何かを聞いて何かを思い出し、という繰り返しによって「私」というものがあるように感じている。絵のなかには数々のイメージが散らばっていて、一瞬、子どもの形を描くが、散逸する。そして、その形作られた子どもをより俯瞰して見てみると、それは小さな固定したかの様に見える子どものイメージとなり、もっと大きな別の形の1パーツになっているのかもしれない。世界のなかに「私」がいると同時に、「私」のなかに世界がいると感じられる。過去に見たり聞いたりしたものと、現在「私」を取り巻く風景が何重にも映し出され、また消え、映し出されと繰り返される心象が「私」であるならば、「私」のなかには過去も現在も映し出すことができる泉があると考えてみる。泉の水面に映し出 されたイメージは、色や形を少しずつ変えながらばらばらな場所にいくつも姿を現す。「私」のなかに泉があるのであれば、外のもののなかにも泉はある。「私」と何かが向きあった時に、つまり泉と泉が向きあう。泉と泉が互いに映しあうことになり、ゆらぎをともないながら無限に反射を続けることになる。そのような状態が私にとっての常であるとするならば、そのなかで何かを求めようとすることは、屈折し、反射を繰り返す像の後について一緒に螺旋を描きながらくるくると回り続けるようなものである。

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