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はみだしっ子

はみだしっ子
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はみだしっ子
はみだしっ子
はみだしっ子
  • はみだしっ子
  • 開催期間:2014年4月19日~6月15日
  • 会場:相模原市民ギャラリー/神奈川

視線の彼方
これまで多くの作家が絵画の支持体としてのキャンバスに穴を開ける、引き裂く、変形させるなどの試みを行ってきた。それらは黒子とも言えるキャンバスの存在を疑い、確認し、二次元とされる絵画の三次元的な可能性を探るものだった。
原の描く絵画作品にはいくつかのシリーズがある。木枠に張ったキャンバスを顔に見立てて描いた「顔」シリーズは戯画的表現でありながら、一つの空間に複数の作品が展示されることで、視線の集合体となり施したり三つ編みにするだけでなく、表情もすべて異なり《口サケ》、《包帯少女》、《アイコ先生》(本展未出品)など漫画のキャラクターのような名前がつけられていた。最新作である《Mt》作品は初期のものと比較して大きく変化している。色合い、構成要素、作品名などにおいて過剰さは息を潜め、よりシンプルになっている。作家いわく、表情はある日本人の女性小説家の顔をモデルにしており、トレースによってどの作品にも目、鼻、口が一様に描かれている。無表情ではないが明確な感情は読み取れない。歓喜、悲哀、落胆、思索、諦念、夢想・・・・・・そのいずれもが均質に含まれている表情とも考えられる。はみでた髪の部分、わずかなずれの部分こそが雄弁な自己主張をしている。
「飛ぶ教室」シリーズは、チラシなど印刷物に描かれた日用品をトレースして大量に描きこみ、その集積によって画面を構成している。パソコンの画面上で形態を加工した画像も描かれている。それぞれ本来の用途を離れた記号としてキャンバス上に浮遊している。最新作《Cloud》は原が活動初期からモチーフに選んできた水に関わるものや言葉、その他幾多の日用品が描き込まれている。画面はWeb上に存在する情報の集積であるクラウドコンピューティングを想起させる。作家本人の思惑からはみだして、いわば集積した欲望や想像力の反映、象徴とも捉えられるのではないだろうか。構図はカンディンスキーやマレーヴィチなどの絵画に通じるものがあり、中心はなく均質化が意図されている。厳密に言えば小さな中心はあるが、決定的に画面を支配するものではない。
通路側に展示している《WAVE》、《No Sleeve》などの「ヌード」シリーズはキャンバスの裏側を様々な手法で表現している。あられもない姿や流麗な曲線も見せもする。文字通り絵画の解体行為もしくはその内蔵を鑑賞者に差し出しているようにも見えはしないだろうか。
最後に、本展のタイトルは作家と検討を重ねた末に出てきたものであり、三原順の漫画『はみだしっ子』(1981年)と同一になったことは偶然である。だが家出した4人の少年、グレアム、アンジー、サーニン、マックスの遍歴と探求、挫折や成長を描き、現在まで読み継がれているこの作品と本展との共通点、相違点を探ることはあながち無意味なことではないだろう。
二次元的であれ、三次元的であれ、絵画の可能性ははみ出すことでしか解消できない作家の表現への欲求、内的必然性により拡張されるものではないだろうか。美術だけでなく私たちを取り巻く価値観は、望むと望まざるとに関わらず急激に、ときに緩やかに流転する。今後どのような変貌を遂げていくのか、はみだしっ子の視線の先にあるものを注視し続けたい。
吉澤博之(相模原市民ギャラリー 美術専門員) アートスポット展示ギャラリースタッフセレクション#49

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